2007/05/04

「鈴木さん」

日経「私の履歴書~鈴木敏文~」
いわずと知れた、セブンイレブン創業者、ヨーカドーグループの会長の自叙伝だ。

第16話
晴れて一店舗目が豊洲にオープンしたものの、在庫が溢れ、2店舗目以降の出店を、
“ドミナント(高密度多店舗出店)戦略”に決めたときのくだり。
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業界の常識を破らない限り、明日はない。
「江東区から一歩も出るな」私は店舗開発担当者に厳命した。
当初は酒屋を中心に回ったが、一度や二度の訪問では口も聞いてもらえない。
ヨーカドーの名前を出すと「小型店まで乗っ取りに来たのか」と、罵られる。
枠をはずせば楽になる。しかし、ドミナントが実現できなければこの事業は失敗する。
原則は絶対崩さない。決めた戦略は徹底する。
年中無休の営業のため、正月の商品配送を求めたときもそうだ。
苦肉の案も出たが、私は突き返した。
これから先、500店舗、1000店舗に増えたらどうするか。
初めから仕組みを作るべきで、困難でも取引先と交渉させた。
「正月まで社員を働かせるのか」反発する山崎製パンの飯島社長に日参する岩国君に言った。
「僕らはもともと素人集団だ。原点だけは見失わずにいよう。」
これで吹っ切れたように再び通い始め、二年目の正月から、店舗に新鮮なパンが並び始める。
断られても諦めず、お店の主人や取引先を説得する日々を重ね、
1号店から2年後の76年5月、総店舗数が100店に到達する。
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熱い信念が伝わる。 

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