順位も視聴率も低迷する巨人にあって、一人気を吐く19歳。
巨人・坂本の逆襲がスタート。
マー君こと楽天・田中とは幼なじみで、少年野球チームでバッテリーを組んでいたが、当時は坂本が地元のスーパースター、田中は脇役だった。いまや年俸6000万円の田中に対し、850万円の坂本は大きく水をあけられたが…。
二岡を押しのけての堂々一番定着は、彼の素質を物語っている。
850万の何と安いことか。
(パンピー:一般ピープルからすりゃ、もらいすぎやけどね)
坂本は小学生時代に楽天・田中と同じ少年野球チームでバッテリーを組んでいた。
(当時は坂本が投手、田中が捕手) 坂本と田中は兵庫県伊丹市出身の同い年で、小学生時代の6年間、軟式の昆陽里(こやのさと)タイガースでプレー。
「投手兼遊撃手だった坂本はスピード、コントロール、遊撃手としての強肩ぶりなど、どれも抜群。当時からプロになるだろうと予感させるものがありました。また、田中は肩こそ強かったけれど、そこまでとは思えなかった。田中本人も、同級生に坂本ともう1人、優秀な投手もいたから、自ら投手をあきらめて捕手に回ったのではないでしょうか」と振り返る。
さらに、2人は何もかも対照的だったと執行理事長は明かす。
「坂本は当時から男前で、小学校の校庭を借りて練習をしていると、数人の女の子が砂場から見つめていたりした。バレンタインのチョコレートもたくさんもらっていたようです。6年生の時には主将を務め、午後5時半の練習終了後も、友達を誘いグラウンドに残って遊んでいるような子でした。田中はそれに比べると地味というか、練習が終わればスッと帰る。おそらく家でひそかに練習していたのでしょう」
派手で“追っかけ”までいた坂本と、人知れず努力していた田中-そんな構図が浮かんでくる。
今も連絡を取り合う仲だが、親友とはいえないようだ。実際に小学校卒業後は、2人は同じ中学に通いながらも、坂本は伊丹シニア、田中は宝塚ボーイズという別の硬式チームを選択した。
田中は駒大苫小牧進学後に急成長し、ハンカチ王子こと斎藤(現早大)のライバルとして全国区に。坂本は青森・光星学院に進み、3年春に甲子園出場を果たしたものの初戦敗退。巨人から1位指名は受けたが、堂上直(中日)の外れ1位だった。
「投手兼遊撃手だった坂本はスピード、コントロール、遊撃手としての強肩ぶりなど、どれも抜群。当時からプロになるだろうと予感させるものがありました。また、田中は肩こそ強かったけれど、そこまでとは思えなかった。田中本人も、同級生に坂本ともう1人、優秀な投手もいたから、自ら投手をあきらめて捕手に回ったのではないでしょうか」と振り返る。
さらに、2人は何もかも対照的だったと執行理事長は明かす。
「坂本は当時から男前で、小学校の校庭を借りて練習をしていると、数人の女の子が砂場から見つめていたりした。バレンタインのチョコレートもたくさんもらっていたようです。6年生の時には主将を務め、午後5時半の練習終了後も、友達を誘いグラウンドに残って遊んでいるような子でした。田中はそれに比べると地味というか、練習が終わればスッと帰る。おそらく家でひそかに練習していたのでしょう」
派手で“追っかけ”までいた坂本と、人知れず努力していた田中-そんな構図が浮かんでくる。
今も連絡を取り合う仲だが、親友とはいえないようだ。実際に小学校卒業後は、2人は同じ中学に通いながらも、坂本は伊丹シニア、田中は宝塚ボーイズという別の硬式チームを選択した。
田中は駒大苫小牧進学後に急成長し、ハンカチ王子こと斎藤(現早大)のライバルとして全国区に。坂本は青森・光星学院に進み、3年春に甲子園出場を果たしたものの初戦敗退。巨人から1位指名は受けたが、堂上直(中日)の外れ1位だった。
運命は逆転したかのように見えた。
また、坂本は、本来左利きを右利きに矯正している。
野球では逆のパターンが多いのに変わっている。
サインを書くのも、ナイフを持つのも左である。
何でも、セーフティバンドをする左より、遠くまで飛ばすホームランバッターにあこがれたかららしい。
再逆転もあり得るぞ。
がんばれ!坂本。
(アンチジャイアンツじゃねえのかよ)
(金満巨人がきらいなだけ)
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